味のないとても濃い

昼間は都内で働きシンガーソングライターもしてあとお喋りをする

拝啓「嫌いなバンドある?」とビールを飲み交わしたあなたへ

先日(気づくのは遅れたが年末にリリースされていた)、音楽系Webマガジンサイト「BASEMENT-TIMES」で記事が更新されていた。

basement-times.com

最後の更新が2019年だったので、実に5年ほどぶりの更新だった。5年ぶりに読んだ石左さんの記事は情熱の塊で、それでいてあの頃とは違う愛みたいなものも感じられた。

知っている人は知っている通り、俺はこのBASEMENT-TIMES(以下、地下室)でライターをしていた頃がある。

それが自分にとっての、すさまじい転機だったと思う。

今は、サウラボという団体でコンテンツディレクターとして活動しているが、それも地下室で活動していたからだと思う。というか、仕事もなんならこの地下室での活動がなければ今の職には就いてはいない。今のバンド(MARKHØR)も地下室での活動が関係していたこともないわけではない。

sound-laboratory.org

もうこのサイトが動くことはない。

でも自分は本当にこのサイトから得られたものが多い。

 

 

出会ったのは、なんだったか…2015年1月に自分のツイートで地下室にハマっている旨が書いてあったのでそこらへんに読み始めたのだろう。

これよりちょっと前から地下室は、アーティスト単体を軽く紹介するスタイルから、コラムを出したりアーティスト紹介にもちょっと毒を混ぜたりするようになっていた。

こういう感じ。(この記事、今のサウラボメンバー全員に読ませたいな)

basement-times.com

2014年3月21日に、自分が力(リキ)入れていたバンド「誰も知らない」が解散したので音楽の漁り方が変わった時期だった。

「誰も知らない」活動時はとにかく「自分の引き出しに」と思っていたのでバンドサウンドのものばかりを聞くようにしていた。

そしてバンドが終わってからやっとバンドサウンド以外のものを聞くように、否、聞けるようになっていた。一種の肩の力が抜けたというか、純粋に音楽を楽しめるようになったというか。

その喜びがあり、インターネットですごい調べてたんだと思う。いろんなアーティストを。

そこで見つけたのが地下室だった。

すぐにハマり、めちゃめちゃ読み漁り、そしてすぐに1月にはライターとして寄稿させてください、と申し出ていた。

ド素人の俺の寄稿を許してくれてとても嬉しかったし、張り切っていた。

basement-times.com

最初の記事がこれだった。(なんとサウラボでも関わってくださった1Recさんがこの記事を読んでトリビュートアルバムを購入したらしい。すごい関わり)

今読むとめちゃめちゃ下手。当たり前だけど。

basement-times.com

まだ有名になる前(と言っていいのか?)のスカートを取り上げたりもした。懐かしいなレスポールのさわまん。

ちょうどこれくらいのときにバンド「セピアトリップガール」の活動も始めた。

そのあとも今も関わりを持つことができたcainoの記事や、ずっと大好きでどうにか日の目を浴びてほしかった(何様)QQIQの記事など書くことができた。

当時、「ひろむとかいう新しいライター、全然下手クソだし最悪」みたいなツイートがあったのを強く覚えている。良かった〜それで文章を辞めないで。

ここを基軸に他の媒体でも記事を書いてみたりした。お金バックレられてすぐ辞めたけど。

そこらへんのときの地下室はすごいものがあった。単純にプレビュー数で言うならロッキンオンジャパンを超えていたらしい。

そして件の石左氏の記事は鬼気迫るものがあった。

basement-times.com

俺は結構この記事を胸に生きている。俺が好きで良いと思ったら良い、だってそういう人が存在する証明だし、逆もまた然り。

石さんの記事で俺は感動していたし確実に胸にも刻んでいた。正直師匠とも思ってる。勝手に。

印象深い出来事がある。

地下室でライブイベントを開催したことがあった。俺も当時住んでいた金沢から夜行バスで東京に行ってスタッフとして参加した。

「ひろむ」という名札をつけていたらお客さんの一人に「青森のライブ良かったです!」と言われた。どうやらamazarashiの秋田ひろむに間違われた?のかもしれない。確かに俺は秋田県生まれのひろむだが、麦わら帽子は被ってない。

イベントではKidoriKidoriが出演していて、KidoriKidoriとは「誰も知らない」のときに対バンしておりそれをあちらが覚えていて嬉しかった。

そんで、そのイベント時に、石左氏にセピアトリップガールの音源を渡した。これが結構目的でもあった。

「すいません、俺のゲボ声ボーカルなんですがwww」みたいなテンションでCDを渡した。

そのときに「そんなんじゃ、いらないよ。聞く価値ない。良いものを良いと勧めてくれなきゃ」と言って門前払いされた。

まったくもってその通りである。当時の石左氏にはきっと「すげえ良いんで!聞いてください!(あわよくば宣伝に乗ってください)」という意見がいっぱいあったと思う。そんな中「別に全然良くないと思うんで」って勧めて聞く時間を作る必要もない。

ちゃんと良いと思って、良いと思うものを作っていかなきゃなと思った。

そのあとの地下室デモ審査企画でセピアトリップガールの音源を送ったらそこでも門前払いされたのはちょっとイラッとしたが、まあそういうこともある。

そんなこんなで、このイベントで、完全に石左氏にはリスペクトを覚えた。

一回下北沢でサシ飲みしたことがある。そのときは開口一番、「嫌いなバンドいる?」と言われた。その次の週にそのバンドの記事が出たのはウケた。

そのときもその質問良いな〜と思った。し、それを聞ける人になりたいな〜と思った。

「付き合うなら好きなものが共通するよりも、許せないことが共通する人が良い」という意見がある。

それと一緒、音楽で嫌いなヤツ、許せないヤツが共通する人のほうが心許せるかもだし。

まあ…

こんなこと言われるかもだけどね。でも俺の音源嫌いじゃんお前つって目潰ししてやろうかな。

 

実は嫌いなことってちゃんと言語化すると、深かったりする。もしかしてそういうことを気づかせてくれたのかな。いやそうでもないか。

今でも俺はそのバンドが苦手だ。でもそれを負い目に感じなくてもいいよなと思う。何が好きかが人の自由なら何が嫌いかも人の自由。聞いてるか俺がRadiohead好きって言ってだから歌詞が育たないんだよとか言ってたやつ。お前らのアルペジオは聞けたもんじゃないからな。

兎にも角にも、俺はこの質問が好きだった。なにか許された気もする。「嫌いでいていいんだ、音楽って自由なんだ」ということの証明と、「この人は俺と仲良くなろうとしてくれてんだ」みたいな安心感があった。

今度、仲良くなりたい人にしてみようかな。もちろん人は選ぶだろうけど。

 

地下室とは、一つ悶着があって辞めることとなった。なんか記事を書こうとして編集長?に読んでもらったときに揉めた思い出がある。

がしかし、当時は俺も拙かったし、あちらもガムシャラだったのかなみたいに思う。

俺は就職して上京して、気づけば地下室は更新しなくなっていたし、石左氏はバンドを始めて、その他のメンバーはどうなったかわからない。

でも今でも俺の思いは変わらない、と最初で載せた記事を読んで思った。

石左氏は石左氏で情熱と愛を持って音楽に関わっていたし、俺はそんな彼を尊敬していた。今もしている。(JIGDRESS超聞いてるしね)

あの頃の俺は20歳を超えただけの子どもだった。

大人になった今、もう一度酒を飲み交わしたいものである。

愛をこめて。

 

www.youtube.com